五蘊皆空(ごうんかいくう)

2007年7月から始めた会社ブログを「五蘊皆空」に移しました。これからも徒然なるままに感じたことを月一のペースでアップしていく予定です。ちなみに五蘊皆空とはお釈迦様の悟りのエッセンスで「物や心は本来無い」というような意味。それを悟れば色々な苦しみから超越できますよ、とのことです。『般若心経』では「照見五蘊皆空 度一切苦厄」と記されています。【2011年11月】

鹿を指して馬となす 【2018.06.10】

秦の始皇帝が死んだ後、二世皇帝の丞相となった趙高は謀反を起す手始めとして、群臣が自分に従うかどうかを試すために、二世皇帝に鹿を馬と称して献上した。皇帝は「丞相は鹿を指して馬と為している」と笑いながら左右に尋ねたが、多くの群臣は「馬」と答えて趙高に曲従し、正直に「鹿」と答えた者は後で処刑された、と司馬遷は『史記・秦始皇本紀』に記しています。

2017年2月17日の衆議院予算委員会で安倍総理は、学校法人「森友学園」の国有地払い下げに関し、「私や妻が関係していたということになれば、首相も国会議員も辞める」と述べました。

安倍総理に曲従した(または曲従させられた)当時の佐川理財局長は国会で虚偽の答弁を行ない、この答弁に基づいて財務省内で公文書の改ざん・隠ぺい・廃棄が行なわれました。この「改ざん・隠ぺい・廃棄」こそが「総理や妻が関係していた」ことの証明になります。なぜならばもし関係していないのであれば改ざんも隠ぺいも廃棄も必要ありませんから。

安倍総理は、鹿を馬と言って群臣に踏み絵をさせた趙高と似たようなことを国会でやってくれました。

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  1. 2018/06/10(日) 08:00:08|
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デジャヴ 【2018.05.15】

吉田兼好の『徒然草』を読んでいたら、第七十一段の後半にこんなことが書かれていました。

ただいま人の言ふ事も、目に見ゆる物も、わが心のうちも、かかる事のいつぞやありしかと覚えて、いつとは思ひ出でねども、まさしくありし心地のするは、我ばかりかく思ふにや。

私にもほんの一瞬のことですが、今進行している状況にかつて遭遇したことがあるような気がして、あの時は次の段階でこうなったなあと思うと実際にその通りになった、という経験が若いころに何度かありました。

こういう、今と同じことをすでにどこかで体験したことがあるように感じる現象をデジャヴ(既視感)と言うそうです。デジャヴがなぜ起きるかは現在でも解明されていないようですが、米国の理論物理学者ミチオ・カク氏は、パラレル宇宙 注1)に存在するもうひとりの自分の記憶が何らかの理由により現行世界の自分に干渉するのではないか、という突拍子もない仮説を立てています。

注1) 弊ブログ マルチバース【2014.06.18】 参照

  1. 2018/05/15(火) 09:45:32|
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40Cクラス会 【2018.04.23】

昭和40年工業化学科卒を意味する40Cのクラス会が浜名湖舘山寺温泉のサゴーロイアルホテルで開かれました。

4月12日夕方、17名全員がホテルに集合、温泉に浸かって浴衣姿になって記念撮影をしてから宴会が始まりました。M君の司会で、一人ひとりが近況や思い出話をしゃべり、50数年前の学生時代にタイムスリップしました。二次会は一部屋に集まって、ワインを飲みながら歓談する人、囲碁を打つ人、それを覗き込む人などでワイワイガヤガヤでした。翌朝は、恩師を訪ねる人、近くの舘山寺を参拝する人、バスツアーに行く人、ゴルフをする人など、三々五々に解散しました。

40Cは55名のクラスでしたが、すでに亡くなった人が7名、消息がつかめない人が3名、今回欠席した人は28名でした。欠席者の約半数は本人または配偶者が病気で出られないとのことでした。参加者は、2003年の還暦クラス会では32名でしたが、15年で約半分になりました。

卒業55年になる2年後に再会したいという人が少なからずいました。
散る桜 残る桜も 散る桜(良寛)、残る時間を大切にして再会したいものですね。

  1. 2018/04/23(月) 22:23:32|
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雪柳 【2018.03.20】

今年も、わが家の軒先の小さな庭に生えている高さ2mほどの雪柳が満開になりました。
5枚の花弁からなる直径1cm弱の小さな白い花が、枝々にびっしりと咲いています。

遠くから見ると、こんもりとした柳に積もった真っ白な雪のように見え、花に近付くとほのかな香りが漂ってきます。

清楚で、自己主張しないが、存在感のある雪柳です。

去年の夏の剪定で枝を切り過ぎて、来春ちゃんと芽が出るだろうかと心配していましたが、杞憂でした。

  1. 2018/03/20(火) 08:35:02|
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お田鶴の方(おたづのかた) 【2018.02.15】

前回のブログで家康は曳馬城を攻略・入城したと書きましたが、時の曳馬城主は今川家に暗殺された飯尾豊前守の後を継いだ奥方のお田鶴の方でした。

若き家康が人質として駿府城にいたころお田鶴の方と家康はお互いに心を寄せ合っていましたが、彼女の伯父である今川義元の命により彼女は飯尾豊前守と結婚し、家康は彼女のいとこの築山御前と結婚しました。

家康は曳馬城攻略中、初恋の人お田鶴の方を救いたく降伏を勧めましたが、彼女は「春霞 立つ日も待たで 姫小松 曳馬の野辺に 霙(みぞれ)するかな」の返事と共に散華しました。時に1569年1月、降伏して家康のもとで生きるよりも、烈々の香気を残して死んだ方が家康の心に残ることを知ってのことか、と山岡荘八は『徳川家康』の中で述べています。

家康は彼女を手厚く葬って塚を築き、築山御前も塚の周囲に百余株の椿を植えて供養したそうです。現在、お田鶴の方を祀った椿姫観音と呼ばれる小さな御堂が曳馬城跡の東北600mのところに建っています。(10年後築山御前も、武田家と内通した疑いで織田信長の命により家康の家臣の手によって佐鳴湖畔で斬殺され、曳馬城跡の西1kmのところにある高松山・西来院に祀られています。)

  1. 2018/02/15(木) 08:33:10|
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